2017年04月11日

8時間労働で人間らしいくらしを保障せよ!【〈メーデーの歴史〉8時間労働制要求が原点 第1回メーデーは1920年。「8時間労働制実現」「失業防止」「最低賃銀法制定」「シベリアからの即時撤兵」などの要求を掲げた。連合通信】



◆170411・〈メーデーの歴史〉8時間労働制要求が原点

ガスタンクが夜の目標メーデー来る 金子兜太

ごみ箱に乗りメーデーの列を見る 加倉井秋を

 5月1日に行われる労働者の祭典メーデー。初夏の季語にもなっており、社会的にも定着している。しかしその歴史は苦難の連続だった。
 今から131年前の1886年、米国の労働者たちが「8時間労働の実現」を訴えた闘争がメーデーの始まりだ。
 1日12時間から14時間の労働が当たり前だった19世紀の米国で当時のナショナルセンター米国労働総同盟(AFL)がゼネスト(全国的なストライキ)を決行。シカゴを中心に35万人が参加し、各地で労働者が要求を掲げてデモ行進を行った。この結果、20万人の労働者が8時間の労働協約を勝ち取るなど、大きな成果を得た。
 これに危機感を覚えた資本家と警察は労働者に対する攻撃を開始。労働者側は多数の負傷者や死者を出し、運動を率いていたリーダーたち8人が処刑された。激しい弾圧で協約はほごにされてしまった。 しかし、運動は終わらなかった。パリで開かれた国際労働大会(第2インターナショナル)で、8時間労働制を求める国際デモンストレーションを決定。1890年5月1日に米国、欧州、南米などで第1回国際メーデーが実施された。

●第1回は1920年

 日本では、1905年の「メーデー茶話会」集会が始まり。当時は長時間労働と劣悪な衛生環境のなかで酷使され、結核などを患う労働者が少なくなかった。労働運動の機運は高まっていたが国家権力による弾圧は激しく、社会主義者の幸徳秋水ら24人が処刑される大逆事件が起こり、運動は停滞を余儀なくされた。
 日本で第1回メーデーが行われたのは1920年。5月2日の日曜日、東京の上野公園に1万人を超える労働者が参加して開催された。「8時間労働制実現」「失業防止」「最低賃銀法制定」「シベリアからの即時撤兵」などの要求を掲げた。
 しかし、1936年には、陸軍青年将校らがクーデターを企てた2・26事件が起き、国民の権利を制限する戒厳令が東京に敷かれた。治安対策を理由にこれ以降、メーデーは禁止されてしまった。

●多彩な要求を掲げ

 メーデーが再開されたのは敗戦後の1946年。10年ぶりの第17回メーデー大会は警察の弾圧のない中での開催となった。5月1日には皇居前広場に「働かせるだけ食わせろ」などのプラカードを掲げて50万人の労働者が参加した。
 その後も労働時間短縮などの労働条件向上の要求に加え、「安保反対」(60年)、「公害絶滅」(70年)など時代の要求を掲げて今日まで続いている。

〈表〉治安維持法と共謀罪
〈表〉8時間労働の原点守れ

「連合通信・隔日版」
posted by さとやん at 23:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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